日記帳

音楽、本、映画、ときどき商売。

2009年7月2日 アラブ

 私は、「千夜一夜物語」第一巻を読んで、ナント、私、あるいは、私達、とは異なった価値観を持った世界が、この世にあるものだ、と驚嘆しました。私達、日本人は、多かれ少なかれ、意識するとしないとに係わらず、仏教の世界観に親しんでいる。私自身は、宗教には全く門外漢ですが、仏教の根本にある世界観は、欲望の否定です。欲望は諸悪の根源だ。方や、「千夜一夜物語」の世界、すなわち、イスラム教の世界観は、欲望の全き肯定だ。きっとそれは、アラブ、すなわち、周囲を酷熱の砂漠に囲まれた世界では、人間の欲望、食欲、物欲、性欲、権力欲、支配欲、こそ、人間の生存を保障する原動力なのだ。人間の欲望を否定したら、たちまち、人間は、その生存を奪われる。
 私は、「千夜一夜物語」を読んで、ナント、私、あるいは、私達は、アラブ、砂漠の国、砂漠の民、イスラム社会、に無知なのか、に気付きました。私自身、全く知らない。正確に言うと、知ろうとしてこなかった。機会があれば、もう少し、アラブについて、知る機会をつくろう。早速、手っ取り早く、「アラビアのロレンス」を見よう。しかし、ナント、安直!まあ、それも、ひとつかな、と、先日、6月9日の水曜定休日に、見ました。
 私が、「アラビアのロレンス」を見たかった理由は、もうひとつあって、私が中学生だったか、高校生だったか、「アラビアのロレンス」が封切られたのです。阪急三ノ宮駅の「OS劇場」だったかに、見に行ったのです。中学生だったか、高校生だったか、の私は、良く理解できませんでした。上演の途中に休憩があって、それまで砂漠のシーンの連続だったのに、休憩を挟んで、突然、雪景色に変わっていたりして。今、見直したら、どんな風に見えるだろう、というのも、興味のあるところでした。
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2009年07月02日12:00
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2009年7月1日 アラビアンナイト

 「アラビアのロレンス」を見よう、と思い立った、もうひとつの理由は、去年の秋、「千夜一夜物語」を読んだからです。なぜ、「千夜一夜物語」を読んだのか、というと、本棚にあった、飯塚浩二著「東洋の視角と西洋への視角」岩波書店を読んだからです。私の本棚には、既読、未読、取り混ぜて、色々あるのですが、まず、まだ読んでいない本を読まなくては、と、「東洋の視角と西洋への視角」を取り出して読みました。多分、戦後、まだ時が経っていない頃の著作で、当時、西洋至上主義に陥っていた日本の知的状況の中で、東洋の再評価を地理学的視点で述べられた著作で、成る程成る程、と読み進めていたのですが、非西洋の価値観、という視角で「千夜一夜物語」を採り上げておられる一節に出会って、アッ、この本は、以前に一度、読んでいる、ということに思い当たりました。その時も、この一節に興味を惹かれ、「千夜一夜物語」を読まなくては、と、「筑摩書房刊「千夜一夜物語」第一巻を購入し、読み始めたのです。ところが、余りの長さについていけなくて、途中で投げ出した、そのことを、思い出しました。
 あらためて、私の読書が、いかに、いい加減であるか、を思い知らされましたが。再読した、「東洋の視角と西洋への視角」は、とても面白かったし、文中、紹介されていた、「千夜一夜物語」に、やはり興味を惹かれて、再挑戦したのです。今回は、しかし、文句無く、面白かった。圧倒的な迫力で、「千夜一夜物語」が、古典中の古典であることが、腹の底から理解できました。しかし、世の中には、スゴイ本があればあるものです。言語を絶する、とは、まさに、このことで、史上最大の奇書、と言えるのではないか。一言、欲望の書、です。人間の、ありとあらゆる欲望が、これでもか、これでもか、と語りつくされている。食欲、物欲、性欲、権力欲、支配欲、欲、欲、欲。よくぞ、ここまで、とあきれるぐらい。人間として生きる、と言うことは、欲望を達成すること、充足すること、であるかのごとく。
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2009年07月01日12:00
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2009年6月30日 レーザーディスク・プレーヤー

 去る6月9日夜、家内と息子は、夜行バスで東京に出かけました。そして、翌10日の水曜日、東京都新宿区高田馬場の高橋孝之さんの工房を訪れました。高橋孝之さんの工房で、「墨流し染」を見学するためです。私は、4年前に、「墨流し染」を見せていただいていたので、今回は、家内と息子、二人だけで出向いたのです。10日の水曜日は定休日でしたので、私は自宅で一人、時間を過ごしました。家内と息子の帰宅予定は、午後10時過ぎだったので、時間は有り余るほどありました。だったら、「アラビアのロレンス」を見ようと決めました。私は、この名作をレザーディスクで持っていました。いつか見ようと。ところが、3時間40分を超える大作なので、なかなか踏ん切りがつかなかったのです。
 ここに来て、いよいよ見ようと思ったのは、二つの理由があります。ひとつは、この春、パイオニアがレーザーディスク・プレーヤーの製造販売を停止する、というニュースを知ったからです。私が使用している、「パイオニア PL−Z1」というレーザーディスク・プレーヤーは、購入して20年近くたっています。リモコンは使えなくなっていますが、本体は、今のところ、トラブル無く作動しています。しかし、いつ、故障するか、分かったものではない。もし故障したら、多分、修理は不可能でしょう。代替機種を買っておかねば、とは思っていたのですが、ずっと、パイオニアのカタログには、現役機種が販売されていたので安心していました。ところが、突然、販売停止のニュースに接して、あわてて、ネット通販で調べたら、既に、完売。もう、新機種の入手は不可能です。まだ鑑賞していない作品のレーザーディスクが10数枚残っていて、レザーディス・プレーヤーが作動している間に、見てしまわないと、焦りました。その一つが、「アラビアのロレンス」なのです。
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2009年06月30日12:00
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2009年6月29日 下書き

 「丸太やホームページ」に「きもの相談室」を開設し、項目の一つに「きもの四方山話」を設けて、「きもの」についてのアレコレを掲載しようと目論んで、その下書きのつもりで、ブログを書き続けてきました。しかし、「きもの」について、衣服の起源に遡って考えてみようと、書き始めたものの、余りに話が取りとめなさ過ぎて、収拾が付かなくなったので、一応、この辺で一服。
 唯、「きもの」とは何ぞや、と考え初めて、それはそのまま、「人間」とは何ぞや、という問いであることに気付きました。それは同時に、「人間」が社会的存在であるゆえに、「社会」とは何ぞや、を問うことでもあります。であるなら、望ましい「きもの」とは何か、を考えると、それはそのまま、望ましい「人間」とは、望ましい「社会」とは、を考えることでもあります。
 今、残念ながら、日本の「社会」が、望ましい方向に向かっている、と思えません。それは、日本人が、望ましい方向に向かっていないことでもある。であるなら、呉服屋として、望ましい「きもの」を追い求めることは、日本人が、日本という国が、望ましい方向に向かう力に成りうるのではないか。どんなに微小で、どれほど微弱であろうと。少なくとも、呉服屋である私の、成しうる唯一のことではないか、と思えるのです。
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2009年06月29日12:00
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2009年6月28日 階層

 余剰生産物を産み出すことに成功した人類は、余剰生産物を産み出すことで、富の偏在、すなわち、階層社会に突入しました。上層、中層、下層、の、さらに細分化された階層が生まれました。おそらく、その階層の差、貧富の、美醜の差は、現在の私達には想像を絶するほどであったでしょう。最下層の生活は、人間以下であった。最低の生存条件すら確保できなかったでしょう。しかし、いつの時代にあっても、すべての人間は、より豊かで、より美しい生活を求めました。そのためには、より高い階層に昇っていくことが必要だった。より高い階層に昇るためには、より優れていなければならなかった。より劣るものは落ちていくしかなかった。優勝劣敗が、冷厳な真理なのです。
 衣服は、より高い階層に昇っていくために、重要な要素でした。なぜなら、より優れた子孫を残すことが重要だったから。より優れた子孫を残すためには、優れた配偶者を得る必要があるからです。優れた配偶者を得るためには、男性であれ、女性であれ、異性に対して、自らの富を、美しさを、自らが優れていることを、表現しなければなりません。そのために、衣服は重要な働きをするのです。衣服で身を飾ることは、衣服で自らの優位を実証することにつながるからです。
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2009年06月28日12:00
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2009年6月27日 衣服

 人類の祖先は、ある時、衣服を発明した。人類は、無から、衣服という、有を生んだ。まさに、画期的です。それは、大きな葉っぱ、だったかもしれません。しかし、大きな葉っぱ、だったとしても、雨をしのぐのに、大きな葉っぱ、を頭に載せたとしたら、それは、「衣服を身に纏う」ことの始まりであったことは確かです。日本人の祖先は、きっと、身の周りに有った、草や木で、衣服の原型を作った。最初は、葉っぱをそのまま、木の皮をそのまま、身に纏いつけたでしょう。そして、次第に、木の繊維を取り出して、糸を作り、その糸を編み上げたり、織り上げたりして、布を作ることを始めたことでしょう。 あるいは、弥生時代、縄文時代より、さらに遡って、海を渡って渡来した、織物に触れる機会があったかもしれません。
 衣服が誕生した頃、きっと、衣服を創造する技術は、当時にあっては、最先端の、最高度の技術であったはずです。最先端の、最高度の技術をもって創造された衣服は、それを身に纏う人間は、当時の権力者でしかありえなかった。衣服、それ自体が、権力の、権威の象徴であったでしょう。権力者は、自らの権威を誇示するために、権力者の自己表現として衣服を身に纏った。そして、より権威を高めるために、さらに高度な、高級な衣服を身に纏うことを追求したことでしょう。巨大な古墳を創造するに匹敵する労力を惜しまず。権力者の飽くなき権力欲が、衣服を創造する技術と感性を、より高めていったのです。
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2009年06月27日12:00
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2009年6月26日 表現

 「衣服を身に纏う」ことを発見した時、人類は、動物から人間に飛躍した。少なくとも、その大きな一因ではあったでしょう。「衣服を身に纏う」ことを発見した人類は、人間に飛躍し、その集団は人間社会を形成しました。人間社会が、他の動物社会と大きく異なるのは、余剰生産物を蓄積できたことではないか。人間以外の生物も、生存に必要な生産物は保有しているでしょう。もし、生存に必要な生産物が確保できなければ、その生物は死滅する、その種は絶滅する。適者生存の冷厳な法則が、すべての生物に該当する。
 しかし、人間は、生存を保障する以上の生産物を保有し、蓄積できるようになりました。余剰生産物の蓄積、すなわち、富が生まれた。と同時に、富の偏在が生じた。富の偏在を、階層とも、身分とも、言いえるでしょうが、すべての人間は平等ではなくなった。人間社会は、大きく、支配するものと、支配されるものとに、二分されました。衣服が発明された時、「衣服を身に纏う」ことは、外的環境に対応するためでした。実用として、衣服はあった。しかし、人間社会が形成され、階層や身分が分化し、支配、被支配の関係が生じた時、衣服は、実用として、だけではなく、表現として、意味を持つようになりました。階層の、身分の、支配、被支配、の表現としての意味を。
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2009年06月26日12:00
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2009年6月25日 飛躍

 なぜ、人類は、「衣服を身に纏う」ことを発見したのか。それは、生存のために、より柔軟に、多様に、環境に適応するためであったでしょう。地理、気候、という外的環境は、一年中、一世紀中、一定ではありえません。時々刻々、変化する。緩慢な変化であることもあれば、激的に変化することもある。時に、生存の条件を、極端に脅かす変化も起きたでしょう。人類の祖先は、環境の変化に対応するために、適応するために、「衣服を身に纏う」ことを発見した。とりわけ、気候の変動に対応するために、衣服を発明した。暑さに、寒さに、風に、雨に、対応するために。あるいは、外敵から身を守る防御のために。言葉で言うと、実用のために、「衣服を身に纏う」ことを人類は発見しました。
 「衣服を身に纏う」ことで、外的環境に適応する能力を身に付けた人類は、気候的、地理的、すなわち「風土」の拘束から脱却し、一挙に、生存条件を拡大することが出来ました。外的環境に支配されるのではなく、外的環境を支配することが出来るようになったのです。そのことは、とりもなおさず、人類が、動物的社会から人間的社会に飛躍することが出来たことを意味しています。人類は、「衣服を身に纏う」ことによって、動物から、人間へ、飛躍したのです。
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2009年06月25日12:00
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2009年6月24日 定義 

 私は、ある時、「着物」について考えていて、「着物」とは、「着る物」だ、ということに気が付いて、さらに、「着る」という行為、すなわち、「衣服を身に纏う」という行為が、地球上のあらゆる生物の中で、人間にのみ与えられた行為であることに気が付いて、感動しました。かつて、人間という、不可解極まりない生き物について、哲学者や、歴史家や、その他、色々な人間が、「人間とは、考える葦である」とか、「火を使う動物である」とか、「道具を使う動物である」とか、「遊ぶ生き物である」とか、様々な定義を出しましたが、その伝で言うと、「人間とは、衣服を身に纏う動物である」と定義できるのではない、と考えました。
 「人間とは、衣服を身に纏う動物である」という定義は、多分、間違いなく当たっている。「人間は、衣服を身に纏う動物である」という真実の中に、逆に、人間にとって、衣服が何であるのか、という本質が見えてくるように思えます。その本質のひとつは、衣服が、人間という動物の生存条件にとって、必ずしも不可欠ではない、ということです。もし、衣服が人間の生存に不可欠であるなら、他の動物が、衣服を身に纏わないで生存し続けることはありえないからです。
 しかし、「衣服を身に纏う」ことを発見したがゆえに、人間は、生存条件を拡大できたことは事実です。火を使うようになったこと、道具を使うようになったこと、と同様に。火の発見、道具の発見、衣服の発見、は、人間の生存条件を飛躍的に拡大し、人間をして、「万物の霊長」たらしめたのです。おそらく、人類の祖先は、生存条件を拡大するために、火を発見し、道具を発見し、衣服を発見した。そして、おそらく、火を発見することによって、道具を発見することによって、衣服を発見することによって、人間は、考えることを発見した。まさに、「人間とは、考える葦」なのです。
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2009年06月24日12:00
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2009年6月23日 着物

 今、私たちが、「着物」と呼んでいる衣服は、「和服」を指しています。明治以前、所謂、「和服」しか着ていなかった日本人は、衣服を、「着物」と称していたのですが、幕末、明治の開国に伴って、欧米諸国との交流が始まり、日本人も、欧米諸国の衣服を着用するようになり、従来の「着物」と区別するために、「和服」、「洋服」、の呼称が生まれました。しかし、その後も、「和服」は、「着物」と呼び続けられています。
 「着物」、とは、「着る物」、という意味で、英語の、「WEAR」が、「着る物」、と言う意味であることと規を一にしています。「着物」、あるいは、「着る物」、という日本語の中で使用されている、「着」という文字は、中国の文字である、漢字です。「古綿がとんでべたべたくっつく」というのが本来の意味で、中国風の読み方である「音読み」は、漢音で「ちゃく」です。文字を持たなかった日本人は、「衣服を身に纏う」ことを表現する文字として、「着」を用いました。そして、古来、日本人が、「衣服を身に纏う」ことを、「きる」と呼んでいた、「きる」を、「着」という漢字の、日本語の読み方、「訓読み」としたのです。
 日本人は、古来、「衣服を身に纏う」ことを、「きる」と呼んでいました。では、なぜ、「衣服を身に纏う」ことを、「きる」と呼んだのでしょう。ここからの推論は、私の、全くの当て推量ですが、「きる」、とは、「木る」、ではないか。日本人は、概ね、農耕民族です。狩猟民族でも牧畜民族でもありません。四季の変化に富む日本の気候風土は、定住性の農耕に適していました。「山紫水明」という言葉が、日本の自然を見事に表現しつくしているように、豊かな草木樹林が広がっていました。日本人は、寒暖風雨をしのぐ衣服に、辺り一体に広がる草木の繊維を用いました。狩猟牧畜民族が動物の毛皮を利用したのとは異なって。日本人の衣服は、「木」だった。だから、「衣服を身に纏う」ことを、日本人は、「木る」と称したのだ、と私には思えます。
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2009年06月23日12:00
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2009年6月22日 起源

 呉服屋らしく、というか、呉服屋だからこそ、着物のアレコレについて書いてみたい、と「きもの四方山話」を始めることにしました。ひとつには、着物についての、お客様の素朴な疑問にお答えしたい、という気持ちと、私自身、着物について、知っているようで知らないことが、色々ある。知っているつもりで知らない、というのは、もしかすると、重大な誤解につながるかもしれない。呉服屋になって、36年、何を今更、というのではなく、呉服屋になって、36年、今こそ着物について、一から見直してみたい、と思い立ったのです。
 今、時代は、間違いなく、拡大から縮小の時代に入った。今後、拡大の時代に復活することは、二度とありえない。緊急の課題は、火急の対策は、縮小を大前提に、社会のあらゆる構造を、組織を改変することです。大は国家、小は個人、に至るまで。縮小への対応に失敗すれば、大は国家、小は個人、に至るまで、存亡の危機に陥ることでしょう。しかし、注意深く、縮小への適応を成し遂げられれば、今後いかな情勢の変化にも、存続し続けることが出来るでしょう。なぜなら、ついこの間まで、時代は、拡大し続けてきたのです。何年前、何十年前、何百年前は、今、という時代の、何分の一、何十分の一、何百分の一、の規模でしかなかった。比較することすら無意味なほどの卑小な規模の時代ですら、時代を拡大する力を保持しえていたのです。
 その秘密は何か、秘訣は何か。過去に遡って、その秘密を、秘訣を探ることは、縮小の時代に突入した私たちにとって、きっと多くの示唆を与えてくれるでしょう。大袈裟な言い方ではあるけれど、人類の起源の記憶にまで遡って、考えてみることも、決して無意味ではないでしょう。いつの時代にも、必ず、「持続する知恵」があったはずだから。着物の中にも、「持続する知恵」があるのではないか。着物は、日本人の起源にまで遡るものだから。着物の起源を遡って、「きもの四方山話」を書いてみようと思っています。
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2009年06月22日12:00
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2009年6月21日 きもの四方山話

 「丸太やホームページ」に、「きもの相談室」の開設を思い立ち、応急処置として、既存の「きものミニ百科」を代用したのですが、実質的な新規開設に着手しました。概要としては、「きもの相談室」の項目に、「きもの着方教室」、「きものお洒落講座」、「きもの始末記」、などを設けることですが、私が、密かに楽しみにしているのは、「きもの四方山話」、ということで、着物にまつわる雑学を披瀝しよう、というたくらみです。例えば、こんな話。

 呉服屋になった息子にとって、着物の寸法自体が疑問、難問でしょう。学校では、長さの単位は、ミリ、センチ、メートル、キロメートルしか教えてもらわなかったのですから。現在の日本では、長さの単位は、メートル法に基づいています。まさにメートル法という法律に基づいているのです。しかし、着物の寸法の単位は、今なお、尺、寸、です。かつて、尺、寸、の使用は法律で禁じられていました。そんな時代、着物の寸法も、ミリ、センチ、メートル、で測ることもありました。しかし、実際の和裁では定着しませんでした。なぜでしょう。
 メートル法は、1791年、フランスで制定された長さの単位です。算出の根拠は、北極点から赤道までの経線(南北線)の距離の1000万分の1を、1メートルと設定しました。文字通り、地球的単位です。一方、日本古来の尺寸は、どのような基準で算出されたのでしょう。基本単位である一尺は、一幅(ひとはば)とも呼ばれます。両手を前に突き出して、指先の間を測ると、ほぼ一尺になります。一尺、すなわち一幅、とは文字通り、人幅(ひとはば)なのです。一尺の十分の一が一寸、一寸の十分の一が一分。人幅を基準にした尺寸は、まさに人間的単位なのです。
 着物の寸法、とは、着る人間の寸法です。地球的単位のメートル、センチ、ミリ、より、人間的単位である尺、寸、分、がより適切であるのは、理の当然です。ところが、戦後、日本という国は、国策として、日本の伝統を否定、乃至、軽視してきました。長さの単位も頑強にメートル法の使用が義務付けられ、尺寸の使用は法律で禁止されました。呉服屋にとって不可欠な「尺ざし」も販売禁止だったのです。それを承知で、ヤミで「尺ざし」を購入し、不正使用していたのです。
 そのような状況下、和裁も、メートル法の使用が推進された時期もありました。しかし、以上述べた理由で定着しませんでした。一尺は約37センチ8ミリ、一寸は約3センチ8ミリ、一分は約4ミリ、です。着物の縫製は平面裁断ですので、洋服のように、体型にキッチリ合わせて仕立てをするわけではありません。立体裁断の洋服の場合、ミリ単位の細かさで採寸することが必要でしょうが、着物の場合、最低単位が、分であることは必要にして十分なのです。
 着物地である反物の幅が、ほぼ一尺です。その理由は、手織りの織機で反物を織っていた時代、両手を差し出した幅、一幅、すなわち人幅が、一番無理なく織れる生地幅だからです。ですから、織機は、人幅に合わせて作られていました。両手を無理なく広げると、ほぼ二尺になります。熟達した仕立て職人であれば、「尺ざし」で当たらなくても、両手の間隔、つまり感覚で、おおよその寸法を推し量れます。そのことが仕事の効率を上げることに寄与するのです。
 私が呉服屋になった36年前、尺寸の使用は法律で禁じられていました。しかし、仕立屋さんは皆さん、尺寸で仕立てをされていました。「尺ざし」を用いて。母は、初めてお買い求めいただいたお客様の着物を仕立てるための寸法を、「お客様でしたら、身丈は四尺一寸ですね。身幅は、前が六寸三分、後ろは八寸。裄は一尺七寸五分。袖丈は一尺四寸にしときましょう」、とお客様の体型を見ただけで、採寸もしないで決めていました。それで、ピッタリのサイズに仕立てあがる。私は、まるで魔法のようだ、と感心していました。しかし、今、思い返すと、尺寸だから出来た話で、もし、メートル、センチ、ミリだと、そうは出来ない。なぜなら、尺寸は人間の身体から生まれた具体的な寸法で、メートルは地球の大きさから計りだした抽象的な数字だからです。今、日本の社会で、尺寸は復活しました。便宜的に認められたのです。尺寸を復活するために、先頭に立って尽力をつくされた、永六輔さんのご努力のお蔭です。
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2009年6月20日 きもの相談室

 ところで、どこに、「きもの相談室」を開設したのか、というと、勿論、まず、神戸元町1番街に在る、「丸太や」の店舗です。というか、店舗内の「きもの相談室」は、開業以来、開設していますが。つづいて、「丸太やホームページ」のサイト内です。ここでも、「丸太やホームページ」を開業以来、開設していますが、必ずしも、表立って看板を上げていたわけではありませんでした。「僕のように、着物に興味を持ち始めて、色々、着物について知りたい、調べたい、という人は沢山いらっしゃるはずだから、『丸太やホームページ』の浅いところで、着物情報が得られるようしたらどうだろう」、という息子の意見に、即、従って、(古来、老いては子に従え)、「丸太やホームページ」内の、「きものミニ百科」、という着物相談コーナーを、「きもの相談室」、と名を改めて、「丸太やホームページ」のTOP(表紙)に看板を上げました。
 「きものミニ百科」から、「きもの相談室」へ衣替え、というとカッコイイ話ですが、中身は変わらないわけですから、単なる、ラベルの張替えに過ぎない。この際、「きもの相談室」を、一から立ち上げる気迫で、構築することにしました。その概要を、下書き程度に書いてみました。

                   【きもの着方教室】

 着物を着たい、と思われて、まず最初の難問は、「自分ひとりで着られない」。「丸太や」は「きもの着方教室」の看板は出していませんが、本当の意味での「きもの着方教室」は開講しています。講師は家内です。お気軽にご相談ください。

                  【きものお洒落講座】

 いつ、どこで、どんな風に着物を着たらよいのか。つまり、「きものTPO」。着物の選び方、帯の合わせ方。帯締めは、帯揚げは、草履は、と疑問がいっぱい。社員一同、誠心誠意、お答えいたします。

                   【きもの始末記】

 意外と難しいのが、着物や帯、襦袢、コート、羽織、のたたみ方です。着物は平面裁断なので、上手にたたむと綺麗に収納できます。下手にたたむとタタミジワという性質の悪いシワが出来てしまいます。要注意。要は簡単なので遠慮なくお尋ねください。
 着物は基本的には正絹ですので、シミや汚れが付くと手入れは簡単ではありません。「丸太や」には高度な技術を持った専属の洗張屋がありますのでご安心ください。
 着物は親子三代と言われますが、実際、お母さん、お婆ちゃんの着物を大切に着続けることが出来ます。そのためには悉皆屋が着用可能なように補修してくださいます。どのような補修が必要かは豊富な経験に基づいて助言させていただきます。
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2009年6月19日 開設

 今更、あえて名乗る必要はありませんが、「丸太や」は呉服屋です。あえて呉服屋と名乗らなくても良い、という思い込みから、当たり前すぎて、これまで、呉服屋としての「丸太や」の業務について、皆様にお伝えする努力が欠けていたのではないか、と反省しています。
 なぜ、ここにきて、急に反省したのか、というと、4月1日から、息子が「丸太や」に入社したからです。呉服屋の息子とはいえ、息子は、これまで、呉服の商売の手伝いをしてきたわけではなく、自宅と店舗は別ですから、呉服の商売を直接に見聞きしてきたわけでもありません。まるで白紙の状態で呉服屋になりました。
 しかし、息子は、呉服屋になる、という自覚を持って「丸太や」に入社いたしましたので、一生懸命、呉服について、商売について勉強しています。可能な限り、店では着物を着ています。すると、あれやこれや、知らないこと、分からないことだらけで、先日も、お買い求めいただいた浴衣を仕立てに出すのに、家内が、裁ち合わせを教えようと、反物を端から端に広げたら、「こんなに長い物を、どうするの?」。長さ13メートルの反物を全部使って一枚の着物に仕立てすることに驚いていました。
 きっと息子は、直ぐに着物について、商売について理解することでしょう。しかし、今、息子が抱いている疑問や難問は、お客様にとっても、やはり疑問であり難問であることでしょう。息子の質問に、家内が答えるように、お客様の質問に「丸太や」はお答えしなければ、と考えたのです。題して「きもの相談室」。本日、開設です。
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2009年6月18日 初夏

 初夏が、好きです。若葉の季節が。木々の緑は、人の一生を連想させます。春、幼児のような新芽が張り、夏、緑輝く青年の生気がみなぎる。秋、華やかにに人生の彩を深くし、冬、朽ち果てて大地に還る。木々の緑が、人の一生なら、初夏、萌出でたばかりの新緑は、少年少女。透き通るような新緑の向こうに、未来が輝いています。人生の秋を迎える身には、その輝きは、まぶしい。しかし、その輝きに、失いかけた生気を取り戻すのです。
          


 娘に初夏の新緑を描いて貰いました。娘は絵を描くのが好きで、「気まま屋」というブログに載せています。見てやってください。
           ↓↓
http://mon64.blog37.fc2.com
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