日記帳

音楽、本、映画、ときどき商売。

2019年11月9日 構造

 目下、読書中の「増鏡」は、想定外に面白い。何が面白いかといって、有史以来、今日まで、脈々と受け継がれてきた日本の社会構造、それは支配構造でもあると思うのですが、その構造の骨格が見えてくるのです。見えてきた構造を、私なりに可視化したいと試みるのですが、とても私の手におえるようなものではなそうですが、少し時間を懸けても、やってみたいと思っています。単純に図式化すると、「増鏡」の時代、すなわち鎌倉時代は、公家権門、宗教権門、武家権門の、三者が鼎立した権門体制であった、ということで、公家権門は執政という形態で、宗教権門は護持という形態で、武家権門は守護という形態で、当時の社会を支配した、という構造です。問題は、何故、何を持って、公家権門は執政という形態で、宗教権門は護持という形態で、武家権門は守護という形態で、社会を支配しえたのか、ということです。


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2019年11月09日12:00
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2019年11月8日 荘園

 新たに開墾された田地の所有権は、本来、開墾者に帰属するはずですが、土地の所有をめぐって争奪が絶えないのは、古今東西、普遍の事実で、開墾者は、その土地の所有を確保する手段として、権力を持つ人物、集団に開墾地を寄託するようになりました。奈良時代、権力を持つとされた人物、集団は、貴族であり、寺社でした。貴族、寺社に進んで寄託された田地は、寄進地系荘園と呼ばれています。貴族、寺社は、寄進された土地を、荘園として領有し、その保護、管理による収益によって、経済力を高めていき、経済力を高めることで、さらに権力を強くしていきました。
 しかし、貴族の権力の源泉は、実に朝廷にありました。天皇だけが保有する神的権威こそ、貴族の権力の光背であったのです。貴族、とりわけ藤原氏は、天皇の神的権威を後ろ盾にするために、娘を天皇の后として入内させ、その児を天皇に即位させることで、天皇の外祖父となり、摂政、関白の位につくことによって権力を掌握したのです。今回、「増鏡」を読み進めて、鎌倉時代に於いても、この摂関政治の支配構造が、強固に継続していることに驚きを禁じ得ません。

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2019年11月08日12:00
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2019年11月7日 公地公民

 大和政権が成立した頃、天皇は名実ともに最高権力者であった。天皇の保持する権力の源泉は、天皇が天孫であるが故の権威に基づいていました。しかし次第に葛城氏や物部氏などの氏族が実力者として台頭し、到頭、蘇我氏が、天皇の権力を凌駕する事態に立ち至って、中大兄皇子が、中臣鎌足と共謀して、蘇我氏を倒し、再び、確固とした最高権力者として大化の改新を断行したのです。
 大化の改新は、中国の、政治、経済の諸制度を範として構想されたのですが、その基本は、すべての、土地、人民は、国家に帰属する、という公地公民でした。天皇を最高権力者として、大和政権は、すべての、土地、人民を支配したのです。土地の私有権は認められず、土地の所有権は、すべて大和朝廷に在ったのです。
 大化の改新の、公地公民制によって、土地の所有権は、すべて大和朝廷に在るとされたのですが、農業生産の拡大に伴う人口の増大によって、人民に寄託する土地が不足するようになりました。新たな農地を確保するために、大和朝廷は新田の開墾を奨励し、開墾された農地については、次第に土地の私有を認めるようになりました。私有地が増大した結果、奈良時代には、公地公民制を維持することは困難になり、公地公民制を前提とする天皇の権力基盤は弱体化して行ったのです。


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2019年11月07日12:00
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2019年11月3日 天孫降臨

 天孫降臨の建国神話が、神話としてではなく、実話として語り継がれてきた、という事実は、日本という国の在り方、国家形態を考える上で、極めて重要です。それは、大和政権の成立以来、今日、今現在に至るまで、天皇は、日本人にとって、特別な存在である、ということを意味します。私は、ある時、天皇には、姓が無いことに気付きました。明治時代になるまで、庶民で姓の無い人は沢山いました。江戸時代、姓、すなわち苗字が許されるというのは破格な待遇でしたが、明治になって、すべての国民は、姓を持つことが出来るようになりました。しかし、天皇には、今もって姓が無い。この一事をもってしても、天皇は、特別な存在なのです。
 天皇が、日本人にとって特別の存在なのは、天皇が、天孫であるが故の神的権威を有する存在である、と周知されてきたことにあります。太平洋戦争後、人間宣言をされた後も、日本人は、天皇を、特別な存在である、と認識し続けているのです。まして、あえて人間宣言をされる以前に於いては、天皇に帰属する神的権威は、日本人にとって、絶大な権威を保有し続けて来たのです。


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2019年11月03日12:00
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2019年11月2日 国家

 これから、私が書こうとすることは、実に大雑把だし、いい加減な話で、風呂敷が大き過ぎて、とても、私の手に負えない難題ですが、折角、「増鏡」を読むことで気付かされたことなので、あえて大胆に書き始めます。これから書こうとすることが、はなから大風呂敷なのは、有史以来の日本の歴史を俯瞰しての話だからです。
 日本と言う国が、国家として成立するのは、大和朝廷の成立であったと思われますが、その建国の由来は、ほぼ日本書紀に記されています。日本書紀は、神代の時代から書き起こされていますが、今や、神話とされている神代の話も、神話とされたのは、たかだか75年前からで、太平洋戦争が終わるまでは、建前としてだけではなく、事実として、神代の時代は、神話ではなく、実話であるとされてきました。それは、私が、これまでに読んだ日本の古典文学にも一貫している。どの時代の碩学も、庶民も、日本人は皆な、そう考えていた、信じていました。


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2019年11月02日12:00
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2019年11月1日 根拠

 「増鏡」の時代が、公家権門、宗教権門、武家権門という、権威と勢威を持った権門勢家が、それぞれに権力を保持していた、という権門体制論は、この国においては、何も、この時代に限ったことではなく、今日に至るまで、いつの時代も、そうであった、と私には思えますが、多少、異なるとするなら、当時にあっての、公家権門、宗教権門、武家権門が、少し形を変えてきた、というだけではないか、と私に思えるのです。
 鎌倉時代、公家権門、宗教権門、武家権門が、権力を保持していたのは、公家権門、宗教権門、武家権門が、土地の所有権を確定し保障する権威を有していたからです。唯、その権威の根拠は、それぞれに異なっていた。では、それぞれの権威の根拠は、一体、何に由来するものであったのか。これは、なかなかに問題です。


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2019年11月01日12:00
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2019年10月29日 土地

 私は、15年ほど前、中央公論社刊「日本の歴史」を通読して、社会の統治構造とは、結局、土地の所有権を確定し保障する体制ではないか、と結論づけました。土地の所有権を確定し保障する権威を有する勢力が最高権力者となる。そして土地の所有権を確定し保障する対価として提供される金品、労力が、権力者の更なる権力の源泉となる。恐らく、この統治構造は、有史以来、今日に至るまで変わらない。
 なぜ、土地の所有権を確定し保障する権威を有する勢力が最高権力者となるのか。それは、すべての人間にとって、土地が、生活の拠点であるからです。まず、居住の拠点であり、生業、それが農業であれ、工業であれ、商業であれ、の拠点であるかるからです。土地が、かかるが故に、いつの時代においても、最大の資産価値を有する。であるあるが故に、いつの時代においても、土地は、争奪の対象となるのです。


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2019年10月29日12:00
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2019年10月28日 権門体制

 黒田俊雄が、鎌倉時代を「権門体制」であったと分析し、公家権力と宗教権力と武家権力との三つ巴の権力抗争の時代であった、とする権門体制論を主張されたことを、私は、「増鏡」を読んで、実感します。この時代、公家権門(執政)、宗教権門(護持)、武家権門(守護)という、権威と勢威を持った権門勢家が、それぞれに権力を保持していた、という「権門体制」は、歴史的事実であると実感するのです。
 「増鏡」を読んで驚かされるのは、天皇を中心とする貴族社会が、鎌倉幕府が全国を統一支配しているとされる時代においても、確固とした権力を維持していることです。「増鏡」の文中、繰り返し詳述される、豪華絢爛の宮廷絵巻は、当時の人々は勿論、私も圧倒されるほどです。その一部始終を見るにつけ、なぜ、そのような宮廷絵巻が描きうるのか、その経済的基盤は何だったのか、に思いが到るのです。
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2019年10月28日12:00
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2019年10月27日 史実

 日本の歴史、というのは、歴史的事実があって、その事実に基づいて分析し、解釈して、歴史観として構築された。であるにもかかわらず、歴史的事実、史実は不変であるはずなのに、なぜか全く異なった歴史観があるのは、なぜか。それは、歴史家によって、抽出された史実の多寡、史実に対する見解の相違にある。しかし、史実の尊重は、歴史を語るうえで、最低限の義務、倫理でしょう。史実の無視、曲解があってはならない。
 それはそれとしても、史実の解釈が多岐に亘ることは、在り得る。黒田俊雄が、鎌倉時代を「権門体制」であったと分析したことを、「岩波講座・日本歴史 中世2」のなかの「中世の国家と天皇」という論文で読んだとき、私は、私なりに納得したのですが、今回、「増鏡」を読んで、実感として体得しました。


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2019年10月27日12:00
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2019年10月26日 鎌倉幕府

 高校生の時、中央公論社刊「日本の歴史」を読んだのですが、日本史の専門書とまでは言えないものの、中学や高校の教科書よりは、はるかに専門的な内容で、鎌倉幕府の成立、という話ひとつをとっても、下記のように説明されている。

 幕府の成立はいつか、と問われれば、反射的にイイクニの1192年、すなわち建久三年、と答えるのが正解として流布されている現状からすれば、ことあたらしくこの問題をとりあげること自体がふしぎと思われるかもしれない。だが実は、学者の間でも幕府の成立はいつなのか、多くの説が対立しており、今日でもまだ決着がついていないのだ。なぜなら、ある日、あるとき、頼朝がおごそかに鎌倉幕府の成立宣言を読み上げたことなど一度もなく、そもそも当時、「鎌倉幕府」ということばが存在しなかったからである。「鎌倉幕府」とは、けっきょく、江戸時代以後の歴史家が名づけ、つくり出した歴史学上の概念である。したがって「幕府とはなにか」という学者の考えかたの相違を反映して、多様にならざるをえないのである。

 上記のような見解は、今の私であれば、十分、理解することが出来るのですが、高校生の私には、ナントややこしい、という話でした。
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2019年10月26日12:00
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2019年10月25日 日本歴史

 中央公論社刊「日本の歴史」を再読した後、岩波書店刊「岩波講座・日本歴史」全30巻を読みました。どちらも日本史の通史ですが、中央公論社の「日本の歴史」は、各巻ごとに、その時代の研究者が執筆されていたのが、岩波書店の「岩波講座・日本歴史」は、さらに各巻、それぞれの分野の専門研究者が、分担して執筆されているので、より専門的で、私には、とても付いて行けない内容も多かったのですが、「岩波講座・日本歴史 中世2」のなかで、黒田俊雄が執筆された「中世の国家と天皇」という論文が非常に興味深くて記憶に残りました。
 黒田俊雄は、鎌倉時代を「権門体制」であったと分析し、公家権力と宗教権力と武家権力との三つ巴の権力抗争の時代であった、とする権門体制論を主張されていたのです。私の、それまでの知識としては、鎌倉時代は、源頼朝が征夷大将軍となって鎌倉幕府を開闢した武士の時代であった、と思っていたのが、公家権門(執政)、宗教権門(護持)、武家権門(守護)という、権威と勢威を持った権門勢家が、それぞれに権力を保持していた、という説は驚きでした。
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2019年10月25日12:00
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2019年10月24日 本

 私は、小学生の頃は野球少年で、本など、ほとんど読んだことが無くて、中学生の国語で読書感想を書くのに、読んだ本がなくて、夏目漱石の「三四郎」を読んだのですが、なぜ「三四郎」を読んだのかというと、その頃、テレビで「姿三四郎」という若き柔道家が主人公のドラマが放送されていて、夏目漱石の「三四郎」が、その原作かと思って読んで見たらトンデモナカッタ、というぐらい本とは無縁だったのが、なぜか高校生の頃から、俄(にわ)かに本を読むようなって、大学生の頃は、読み漁っていました。卒業後、呉服屋になってからも読書を続けていたのですが、31歳で結婚した後、子供が二人生まれて、店も実質的に経営するようになって多忙になり、ゆっくりと本を読むことが出来なくなりました。
 しばらく途切れていた読書を再開したのは15年ほど前した。阪神淡路大震災の後、元町1番街商店街の理事に就任し、元町商店街で「元町ミュージックウィーク」を始めて事務局長を10年務め、「元町130年」では企画委員長を務めて、商店街活動に忙殺されていたのが、もう限界だと退任して、少し気持ちにも、時間にも余裕ができたのです。手始めに読んだのが、中央公論社刊「日本の歴史」でした。この全26巻を最初に読んだのは高校生の時で、再読でしたが、以前読んだときは、唯、文字を追っただけだったのが、それから35年が経ち、それなりに人生経験を積むと、読み方が、まるで違って、歴史上の人物が、身近に感じられたのです。


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2019年10月24日12:00
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2019年10月23日 源頼朝

 「増鏡」の時代は、世に言う、鎌倉時代です。源頼朝が打ち立てた鎌倉幕府が、全国一統、支配する武士の時代だ、と思われています。私も、そう思っていました。しかし、「増鏡」を読み進めるにつれ、全篇に繰り広げられる、豪華絢爛な宮廷絵巻を見るにつけ、一体全体、武士が実権を握っている時代に、なぜ、かくも華やかな宮廷行事が可能なのか、と考えざるを得ないのです。単純に考えて、莫大な資金が必要です。その資金は、何処(どこ)から捻出されるのか。何が、打ち出の小槌だったのか。そういう疑問を持つのです。
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2019年10月23日12:00
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2019年10月22日 鎌倉時代

 目下、読書中の「増鏡」は、はからずも私に、鎌倉時代と称せられる時代の、社会の在り方、成り立ち方を考察する機会をあたえてくれています。それは、この時代に限った問題に止まらず、現代の社会状況を考える上においても、貴重な示唆を与えてくれます。すなわち、支配権力の基盤、拠って立つところは、何処(どこ)にあるのか、という問題です。権力の基礎は、何処(どこ)にあるのか、何処(どこ)から生まれるのか。権力の根拠、とは一体、何なのか。
 「増鏡」の時代の支配構造は、鎌倉時代と称せられるが故に、鎌倉幕府、即ち武士が、支配階級であった、というような単純な構造ではありませんでした。天皇を中心とする貴族、さらに神社仏閣も大きな権力を握っていた。武家、貴族、宗教家、の三者が鼎立していたのです。なぜ三者が、等分とは言えないまでも、それぞれの分に応じた支配力を保持していたのか、その拠って立つところは、何処(どこ)にあったのか。そこのところが問題なのです。


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2019年10月22日12:00
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2019年10月19日 絶句

 もう一度、元寇(蒙古襲来)についての、「増鏡」の記述を引用します。

 かように聞こゆるほどに、蒙古(むくり)の軍(いくさ)という事起こりて、御賀止まりぬ。人々口惜しく本意(ほい)なしと思(おぼ)すこと限りなし。何事もうちさましたるやうにて、御修法やなにやと、公家・武家、ただこの騒ぎなり。ほどなくしづまりて、いとめでたし。

 原文のままで、意味が読み取りにくいと思いますので、拙いですが、かつ不正確ですが、私なりに現代語に訳してみます。

 このように華やかな舞楽が朝廷で執り行われていたおりから、中国の元の国の軍隊が、大挙、我が国に押し寄せてきて、九州で戦争が起き、御賀の舞楽が取り止めになって、人々は大変残念に思いました。貴族も武士も、元の軍隊に勝利するために、神社仏閣で祈祷を続け、大変な騒ぎでしたが、ほどなく撃退することが出来て、目出度いことでした。

 ほぼほぼ、こういう内容だと思いますが、さらに説明をくわえると、「御賀」とは、後嵯峨法王が五十歳を迎える祝賀の舞楽のことで、その準備に余念が無かった時に、蒙古が襲来して、御賀の舞楽が取り止めになったことを残念がっているのですが、日本の歴史上、初めて外国の軍隊が、本土に攻撃してきた、という国家存亡の危機に直面しているにもかかわらず、「御賀止まりぬ。人々口惜しく本意(ほい)なしと思(おぼ)すこと限りなし。」などと言っていた貴族の、能天気、暢気さにあきれます。さらに、6年も続いた元寇を、「ほどなくしづまりて、いとめでたし。」などと他人事のように言っているのも、絶句ものです。
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2019年10月19日12:00
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