日記帳
音楽、本、映画、ときどき商売。
2012年5月17日 沈没
我ながら、私のブログが、最近、とみに暗くなっている。もともと、「日記帳 音楽、本、映画、ときどき商売」という題目であるにもかかわらず、音楽の話も、映画の話も、ほとんど出てこない。映画は、確かに、ほんの時たましか見ないですが、音楽は、毎日、浴びるほど聴いているし、弾いてもいます。しかし、暢気に、音楽の話を書いてなんぞ、居られない心境です。
商売が、超キビシイ、ということが何よりですが、それは、日本が沈没しかけていることに他ならない、と思えるからです。座視し得ない心境です。なぜ、日本は沈没しかけているのか。経済の崩壊以前に、精神が崩壊した、と思えてならないのです。日本の再生は、日本人、一人一人の再生を措いて無い。何より、私自身の身の処し方、だと思うのです。
商売が、超キビシイ、ということが何よりですが、それは、日本が沈没しかけていることに他ならない、と思えるからです。座視し得ない心境です。なぜ、日本は沈没しかけているのか。経済の崩壊以前に、精神が崩壊した、と思えてならないのです。日本の再生は、日本人、一人一人の再生を措いて無い。何より、私自身の身の処し方、だと思うのです。
2012年5月16日 道程
「自・他」共存は、如何に為しうるのでしょう。何より先ず、「自」の確立が前提です。確固とした思想、信条に基づいた、「自」の確立が。不和雷同しない、唯我独尊にならない、上意下達しない、唯々諾々にならない。絶えず自分で思考し、判断し、決定し、行動する、「自」を確立することが、極めて重要なのです。
自律した「自」同士が、如何に共存するのか。「自・他」共存の方法、手段、その根底に在るべき、倫理、規範、その構築にこそ、「公」が成立する。「自」の確立から、「公」の成立への道程こそ、私たちの歩むべき道なのです。
自律した「自」同士が、如何に共存するのか。「自・他」共存の方法、手段、その根底に在るべき、倫理、規範、その構築にこそ、「公」が成立する。「自」の確立から、「公」の成立への道程こそ、私たちの歩むべき道なのです。
2012年5月15日 戦争
戦争とは、殺すか、殺されるか、二つに一つ、しかない。戦争にも、法規が在るそうです。しかし、戦争の法規とは、勝者の論理、殺す側の論理でしょう。しかし、敗者、殺される側にも論理がある。
競争にも、論理があるそうです。一つ、自己責任。一つ、自由主義。それもまた、勝者の論理でしかない、と私には思えます。
戦争ではなく、平和共存の道を探さねばならない。競争ではなく、「自・他」共存の道を求めねばならない。人を殺してはならない、人を貧しくしてはならないからです。
競争にも、論理があるそうです。一つ、自己責任。一つ、自由主義。それもまた、勝者の論理でしかない、と私には思えます。
戦争ではなく、平和共存の道を探さねばならない。競争ではなく、「自・他」共存の道を求めねばならない。人を殺してはならない、人を貧しくしてはならないからです。
2012年5月14日 競争
今、社会の至る所で、競争が激化しています。「勝ち組・負け組」というコトバが流行語になるほど、競争に勝つ者、負ける者、の雌雄、優劣の差異が、判然と分化しているのです。それが、とりもなおさず、格差社会を招来しています。
競争とは、何か。「他」を潰して、「自」が残ることです。競争は、「他」を殺して、「自」が生き残る、という結果を考えれば、まさに、戦争です。競争社会とは、いわば、戦争状態である、と断言して、それほど間違ってはいないでしょう。「祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色。盛者必衰の理を現す。」という「平家物語」の世界は、今の、私たちの世界でもあるのです。神戸を創業の地とする大規模小売店が、かつて、売上高日本一を達成したのが、まさに、「春の夜の夢の如し」です。
競争とは、何か。「他」を潰して、「自」が残ることです。競争は、「他」を殺して、「自」が生き残る、という結果を考えれば、まさに、戦争です。競争社会とは、いわば、戦争状態である、と断言して、それほど間違ってはいないでしょう。「祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色。盛者必衰の理を現す。」という「平家物語」の世界は、今の、私たちの世界でもあるのです。神戸を創業の地とする大規模小売店が、かつて、売上高日本一を達成したのが、まさに、「春の夜の夢の如し」です。
2012年5月13日 障壁
「公」が、すなわち、「自・他」共存の場であるなら、「公」が成立するためには、「自・他」共存の倫理、規範が確立されなければなりません。「自・他」共存の倫理、規範は、「自」、「他」、それぞれの倫理、規範の対立、相反を調整しながら、相互理解を深めることのなかで、共通項の確認、許容範囲の拡張、を地道に推し進めていくことによって、合意が形成されるのです。
「自・他」共存を妨げる最大の障壁は、「自」、「他」、それぞれの倫理、規範の解き難い対立です。「自」、「他」、互いに譲れない一線がある。しかし、誤解、偏見、無知、に基づく齟齬が、対立の原因の最たるものであることが大半でしょう。であるなら、相互理解を図ろうと努力することが、「自・他」共存への第一歩でしょう。
「自・他」共存を妨げる最大の障壁は、「自」、「他」、それぞれの倫理、規範の解き難い対立です。「自」、「他」、互いに譲れない一線がある。しかし、誤解、偏見、無知、に基づく齟齬が、対立の原因の最たるものであることが大半でしょう。であるなら、相互理解を図ろうと努力することが、「自・他」共存への第一歩でしょう。
2012年5月12日 類推
寛容であるためには、何より先ず、「他」の存在を認めねばなりません。「他」を認めるとは、とりもなおさず、「自」「他」の違いを認めることに他なりません。「他」もまた、自立した「自」であるなら、自ずと、自律した倫理、規範を持っています。しかし、思想・信条が異なるが故に、「自」「他」、それぞれの倫理、規範が異なっている場合が、往々にしてあります。寛容であるためには、「自」と異なった倫理、規範が、「他」にとって、存在の根拠であることを認めなければならないのです。
「自」自身が存在根拠とする倫理、規範と異なる「他」の倫理、規範を認めることは、如何にして可能なのか。それは、人間に与えられた、類稀な能力、想像力を働かせてこそ、可能になります。人間は、「自」自身の、肉体的、感覚的限界を超えて、「他」の肉体、感覚を類推することが不可能ではないのです。確かに、「自」意識ではない、「他」意識を類推することは、推測の域を超えるものではないけれど、「他」に成り代わろうとする努力は、「自・他」が共存しうる道を捜し求める手立てとして、不可欠なのです。
「自」自身が存在根拠とする倫理、規範と異なる「他」の倫理、規範を認めることは、如何にして可能なのか。それは、人間に与えられた、類稀な能力、想像力を働かせてこそ、可能になります。人間は、「自」自身の、肉体的、感覚的限界を超えて、「他」の肉体、感覚を類推することが不可能ではないのです。確かに、「自」意識ではない、「他」意識を類推することは、推測の域を超えるものではないけれど、「他」に成り代わろうとする努力は、「自・他」が共存しうる道を捜し求める手立てとして、不可欠なのです。
2012年5月11日 寛容
公的意志が形成されるためには、「自」の自立、「他」の認知、が絶対条件です。「自」意識と、「他」意識が、共に重要なのです。「自」と、「他」を、共に意識することは、「自」、「他」の違いを意識することです。それは、時に、痛みを伴って、耐え難い、許し難い場合があります。「自」を通そうとすると、「他」と折り合えない。「他」を立てれば、「自」を収めるしかない。夏目漱石の「草枕」の冒頭、「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい」、とは、まさに、その辺の事情、機微が尽くされて余りあります。
この世が住みにくいのは、「自」と「他」が、容易に交じり合えないからです。「自」意識が強ければ強いほど、「他」との違いが強く意識されるのです。越えがたい壁で隔てられた「他」と、如何に、手を取り合い、共に歩んでいくことが出来るのか。ローマ帝国の哲人皇帝マルクス・アウレリウスは、「自省録」のなかで、繰り返し、「寛容であること」を自らに課しています。多民族国家であったローマ帝国を統治するためには、寛容であることが重要だったのです。
この世が住みにくいのは、「自」と「他」が、容易に交じり合えないからです。「自」意識が強ければ強いほど、「他」との違いが強く意識されるのです。越えがたい壁で隔てられた「他」と、如何に、手を取り合い、共に歩んでいくことが出来るのか。ローマ帝国の哲人皇帝マルクス・アウレリウスは、「自省録」のなかで、繰り返し、「寛容であること」を自らに課しています。多民族国家であったローマ帝国を統治するためには、寛容であることが重要だったのです。
2012年5月10日 文殊
思想・信条の自由を認めない、「自」、「他」の関係は、共存ではありえません。それは、「自他」合一を強制することです。自立した「自」が否定され、「他」と同一になることを強制されるのです。「自他」合一を強制し、「自他」同一を強行することは、悪しき全体主義です。「自他」同一は、「自・他」共存の、まさに、正反対なのです。
「自他」同一が強行されて成立する社会秩序は、実は、「公」ではありえません。「自他」同一が強行されて成立する社会秩序は、私的意志の貫徹に他ならないからです。私的意志が、如何に、社会全体の多数意志であっても、少数意志を排除する限り、公的意志にはなりえないのです。
公的意志とは、自立した個々の「自」が、「他」の、思想・信条を理解し、認識し、個々の思想・信条の違いを超えて、形成された合意です。利害、得失、好悪、の超えがたき壁を乗り越えて、同じ屋根の下、同じ国家の下、同じ地球上で、共に歩むための、共に生きていくための、文殊の知恵なのです。
「自他」同一が強行されて成立する社会秩序は、実は、「公」ではありえません。「自他」同一が強行されて成立する社会秩序は、私的意志の貫徹に他ならないからです。私的意志が、如何に、社会全体の多数意志であっても、少数意志を排除する限り、公的意志にはなりえないのです。
公的意志とは、自立した個々の「自」が、「他」の、思想・信条を理解し、認識し、個々の思想・信条の違いを超えて、形成された合意です。利害、得失、好悪、の超えがたき壁を乗り越えて、同じ屋根の下、同じ国家の下、同じ地球上で、共に歩むための、共に生きていくための、文殊の知恵なのです。
2012年5月9日 共存
「公」の場の崩壊とは、「公」の場を支える理念、拠ってたつ倫理の崩壊に他なりません。「公」の理念、倫理とは、「自・他」の共存です。「自・他」が共存するために、何が必要か、大切か、それが、とりもなおさず、「公」の理念、倫理なのです。
「公」の理念、倫理が確立するための大前提があります。それは、「自」の自立です。個人の自立が重要なのです。自立した「自」とは、「他」に迎合しない、吸収されない、確固とした個性を持つ人間です。だから、自分自身で思考し、行動することが出来る、その能力、自己力を養うことが肝要なのです。
自立した「自」が、自立した「他」と共存するために、何が必要か。その前提は、相互に、思想・信条の自由を認め合うことです。「自・他」が共存するためには、思想・信条の自由が保障されることが絶対不可欠なのです。なぜなら、自立した「自」は、互いに、「他」と異なる、独自の思想・信条を持つからです。自立した「自」同士が、互いに、思想・信条の自由を認め合って、初めて、「自・他」共存の道が拓かれるのです。
「公」の理念、倫理が確立するための大前提があります。それは、「自」の自立です。個人の自立が重要なのです。自立した「自」とは、「他」に迎合しない、吸収されない、確固とした個性を持つ人間です。だから、自分自身で思考し、行動することが出来る、その能力、自己力を養うことが肝要なのです。
自立した「自」が、自立した「他」と共存するために、何が必要か。その前提は、相互に、思想・信条の自由を認め合うことです。「自・他」が共存するためには、思想・信条の自由が保障されることが絶対不可欠なのです。なぜなら、自立した「自」は、互いに、「他」と異なる、独自の思想・信条を持つからです。自立した「自」同士が、互いに、思想・信条の自由を認め合って、初めて、「自・他」共存の道が拓かれるのです。
2012年5月8日 自他
「自」の存在しか認めない 「他」の存在を認めない、私的領域しか無い社会に、「公」の観念が生まれようがありません。「公」とは、公共という言葉が、いみじくも物語るように、「自」と「他」が、共に在る、共存の理念です。社会は、本来、私的領域、「私」の場と、公的領域、「公」の場との、両方で成り立っています。「自」、「他」、それぞれの、「私」の場と、「自」と「他」が交じり合う、「公」の場とが、両立しているのです。
しかし、「自」の存在しか認めない 「他」の存在を認めない、私的領域、「私」の場しか無い人間が激増すると、公的領域、「公」の場が成立しなくなるのです。「公」の場が、「私」の場の延長でしかなくなり、「公」の場と、「私」の場の区別が、つかなくなっているのです。「公」の場の崩壊、消滅こそ、今、日本の社会が陥った、最大の問題であると考えます。
しかし、「自」の存在しか認めない 「他」の存在を認めない、私的領域、「私」の場しか無い人間が激増すると、公的領域、「公」の場が成立しなくなるのです。「公」の場が、「私」の場の延長でしかなくなり、「公」の場と、「私」の場の区別が、つかなくなっているのです。「公」の場の崩壊、消滅こそ、今、日本の社会が陥った、最大の問題であると考えます。
2012年5月7日 関係
私は、最近、「自」と、「他」との関係、係わり方について、考えています。「自」とは、自己、「他」とは、他者です。今、日本の現状は、どうか。「自」と、「他」が、交じり合うことなく、混在している。現下の日本社会の、最大の問題は、「自」「他」の分離にこそある、と考えます。
「自」「他」が分離した社会とは、「私」の社会です。私的領域しか無い社会です。今、日本が、如何に私的領域しか無い社会になっているか、卑近な例で説明します。私は、偶に電車に乗って、信じがたい光景に出くわすのは、電車の中で、化粧する人間がいることです。元町商店街の路上を、歩きながら飲食する人間、座り込んで飲食する人間の多いことです。化粧も、飲食も、極めて私的な行為です。私的な行為が、公衆の面前で出来る、とは、「傍若無人」、すなわち、「傍らに人、無きが若し(かたわらに、ひとなきがごとし)」、すなわち、他者の存在が認知されていない、他者の存在を意識できないからです。
「自」「他」が分離した社会とは、「私」の社会です。私的領域しか無い社会です。今、日本が、如何に私的領域しか無い社会になっているか、卑近な例で説明します。私は、偶に電車に乗って、信じがたい光景に出くわすのは、電車の中で、化粧する人間がいることです。元町商店街の路上を、歩きながら飲食する人間、座り込んで飲食する人間の多いことです。化粧も、飲食も、極めて私的な行為です。私的な行為が、公衆の面前で出来る、とは、「傍若無人」、すなわち、「傍らに人、無きが若し(かたわらに、ひとなきがごとし)」、すなわち、他者の存在が認知されていない、他者の存在を意識できないからです。
2012年5月6日 問題
今、私たちには、一刻の猶予も、一寸の余裕も、与えられていません。今すぐ、社会的公平さを確保するための手段を講じなければなりません。しかし、今、二言目には、「政治が悪い」、「行政が悪い」、「教育が悪い」、と難じる方が、なんと多いことでしょう。すべて、社会が悪い、相手が悪い、と。はたして、そうなのか。私が悪い、自分が悪い、と思わないのでしょうか。
確かに、社会的公平さを確保するために、政治、行政、教育の果たす役割は、測り知れない程、大きいでしょう。しかし、社会とは、政治機構でも、行政機構でも、教育機構でもありません。社会の構成員たる、個々の人間の総体です。構成員たる、個々の人間の在り方が、社会の在り方なのです。
社会の在り方に問題があるのは、構成員たる、個々の人間の在り方に問題があるからです。問題は、個々の人間の在り方の、どこに問題の所在があるのか、ということです。
確かに、社会的公平さを確保するために、政治、行政、教育の果たす役割は、測り知れない程、大きいでしょう。しかし、社会とは、政治機構でも、行政機構でも、教育機構でもありません。社会の構成員たる、個々の人間の総体です。構成員たる、個々の人間の在り方が、社会の在り方なのです。
社会の在り方に問題があるのは、構成員たる、個々の人間の在り方に問題があるからです。問題は、個々の人間の在り方の、どこに問題の所在があるのか、ということです。
2012年5月5日 総量
日本は、今、社会的総量が、間違いなく、拡大から縮小へ、膨張から収縮へ向っています。今、日本という国に、必要なのは、縮小、収縮する社会的総量を、如何に無駄なく、公平に分配するか、という制度です。しかし、現状は、分配は不公平に、負担は公平に、という体制になってしまった。その挙句、一握りの金持ちと、その他大勢の貧乏人に両極化、無残に分断されてしまったのです。
格差の拡大こそ、日本の活力を削ぐ最大の要因だと思います。であるなら、日本が、再び、活力を取り戻すには、格差の縮小こそ、緊急の課題、急務です。例えば、「大店法(大規模店舗法)」は、分配の公平化、均等化を制度的に保障、補償しようとするものでした。2000年6月の「大店法」の廃止によって、全国津々浦々の商店街、小売市場が、どういう状況に追い込まれたかを見れば、一目瞭然です。現在、朝日新聞で、商店街の現状の報告、分析の連載が始まっていますが、余りに、生々しくて、痛々しくて、正視に堪えません。
格差の拡大こそ、日本の活力を削ぐ最大の要因だと思います。であるなら、日本が、再び、活力を取り戻すには、格差の縮小こそ、緊急の課題、急務です。例えば、「大店法(大規模店舗法)」は、分配の公平化、均等化を制度的に保障、補償しようとするものでした。2000年6月の「大店法」の廃止によって、全国津々浦々の商店街、小売市場が、どういう状況に追い込まれたかを見れば、一目瞭然です。現在、朝日新聞で、商店街の現状の報告、分析の連載が始まっていますが、余りに、生々しくて、痛々しくて、正視に堪えません。
2012年5月4日 孟子
規制、規律、規則、を適用するのは、法治主義です。法治主義、とは、性悪説、すなわち、人間の本性は悪である、世の中には悪人がいる、という前提です。悪人は、いるのです、世の中に。しかし、悪人は、悪人こそは、法律をすり抜ける。法治主義のパラドックスは、違法行為が、法律によって保護される、という悪い冗談を現出するのです。法治主義は、結局、善人が損をする。正直者が馬鹿を見るのです。
じゃー、一体、どうすれば良いのか。まさに、孟子が説いた、道徳を確立することです。孟子の性善説が、説得力を持つのは、人間に自ずからなる善意、四端の心を拡充して、道徳を確立することでしか、社会は成り立たないからです。孟子は、戦国乱世にあって、如何に、国民が、穏やかに、豊かに、暮らすために、何が大切かを、考え続けて、説き続けました。しかし、その思いは、世に報われることはありませんでした。しかし、2000年の時を超え、今も、その熱い思いは、私たちの心を打つのです。
じゃー、一体、どうすれば良いのか。まさに、孟子が説いた、道徳を確立することです。孟子の性善説が、説得力を持つのは、人間に自ずからなる善意、四端の心を拡充して、道徳を確立することでしか、社会は成り立たないからです。孟子は、戦国乱世にあって、如何に、国民が、穏やかに、豊かに、暮らすために、何が大切かを、考え続けて、説き続けました。しかし、その思いは、世に報われることはありませんでした。しかし、2000年の時を超え、今も、その熱い思いは、私たちの心を打つのです。
2012年5月3日 あおり
規制は、是か非か。古くて新しい、永遠の難問です。基本的に、原則で言うと、規制は、無いに越したことはない。規制に限らず、規則は、無いに越したことはない。しかし、ありとあらゆる時代の、どこのどの社会でも、規則、それが、成文化された法律であれ、不文律であれ、規則の無い時代、社会は無い。それは、いつ、いかなる時代、社会であれ、規律を守らない、乱す者がいるからです。
いつ、いかなる時代、社会であれ、自分のことしか考えない者がいる。自分さえ良ければ、他人のことはお構いなし、という人間が、必ず、いる。規制緩和が、今、日本の社会に、何をもたらしたのか、を考えれば、一目瞭然です。
私のような、零細小売業者にとって、「大店法(大規模店舗法)」の廃止の影響は甚大です。「大店法」の廃止で、どれ程、大型量販店が巷に溢れたか。ひたすら、格安を売りにして。しかし、格安販売の裏で、何が起きているのか。新聞報道によると、納入業者への一方的返品、仕入れ代金の返還要求、派遣社員のタダ働きで、公正取引委員会から是正を求められた。大型量販店の格安販売のあおりで、どれ程、零細同業者が、納入業者が皺寄せを食っているか。
いつ、いかなる時代、社会であれ、自分のことしか考えない者がいる。自分さえ良ければ、他人のことはお構いなし、という人間が、必ず、いる。規制緩和が、今、日本の社会に、何をもたらしたのか、を考えれば、一目瞭然です。
私のような、零細小売業者にとって、「大店法(大規模店舗法)」の廃止の影響は甚大です。「大店法」の廃止で、どれ程、大型量販店が巷に溢れたか。ひたすら、格安を売りにして。しかし、格安販売の裏で、何が起きているのか。新聞報道によると、納入業者への一方的返品、仕入れ代金の返還要求、派遣社員のタダ働きで、公正取引委員会から是正を求められた。大型量販店の格安販売のあおりで、どれ程、零細同業者が、納入業者が皺寄せを食っているか。
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