日記帳

音楽、本、映画、ときどき商売。

2010年3月10日 気まま屋

 娘は、流通科学大学の図書館クラブで知り合った先輩と結婚し、現在、東京の大田区にいます。結婚後、私が、「こうべブログ」を始めたことに刺激されて、「気まま屋」なるお絵かきブログを始めました。私も家内も、娘も、ある意味、ベトベトした親子関係ではないので、めったに電話で話をするわけではなく、メールを頻繁に交わすわけでもなく、タンタンとしていますが、私は、娘が、「気まま屋」に描く絵を見ると、元気なんだ、と確認しています。
 「気まま屋」に絵を描くようになって、2年を越えて、描いた絵も、それなりの数になっています。何故か娘は、最近、ブタちゃんの絵を、好んで描いています。なぜ、ブタちゃんなのか、私には良く分らないのですが、ブタちゃんがお気に入りのようです。家内の妹は、娘の描くブタちゃんが、大のお気に入りで、もっと描いて、と催促したりするので、娘も、気が向くと、ブタちゃんを描いています。去年の暮れごろ、家内は、娘が描いたブタちゃんの絵で、絵葉書を作ることを思い立ち、色々作って店頭に並べると、これが、意外なほど、人気なのです。世の中に、これほど、ブタちゃんファンがいらっしゃるとは、驚きです。

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2010年03月10日12:00
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2010年3月9日 文集

 娘は、流通科学大学情報経営学科に進学しました。4年間、大学で勉強しながら、好きな絵を描き続けていました。絵本のようなものを描いてみたり、本を読むのも好きだったから、大学では、図書館クラブなるものに所属していました。流通科学大学は、中内功(注・正しくは、工に刀)さんが創立されました。流通革命の旗手だった中内功さんが、自ら、流通を科学として研究し、勉学する場として創立されたのでしょう。娘が流通科学大学に進学した時、中内功さんは、学園長で、入学式では、新入生、一人一人に、ファイルを手渡されました。そのファイルは、「From Nakauchi」、という中内功さんの私信を、学生が保存しておくためのものでした。
 中内功さんは、娘が4回生の秋9月に永眠されました。流通科学大学は遺徳を偲び、直後に、「To Nakauchi−san 中内功 追悼文集」を作成されました。その文集の作成に際し、娘は依頼を受けて、挿絵を描かせていただきました。


  
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2010年03月09日12:00
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2010年3月8日 挿絵

 娘は音楽が好きで、バイオリンを弾いているし、家族みんな楽器を弾くし、周りに楽器を演奏する人が一杯いるから、音楽をモチーフに絵を描くことがよくありました。すると、「萌ちゃん、発表会のプログラムの表紙に絵を描いてくれる?」と頼まれることがよくあって、「いいよ」と二つ返事で受けていました。ある時は、「まるたやミュージックフレンド」のお一人の作曲家の南夏世さんが、作品集の楽譜を出版されることになり、その挿絵を娘に依頼されました。南夏世さんは、彼女がまだ中学生の頃、私が、子供ミュージカルの上演のお手伝いをした時、可愛い声で歌っておられたのですが、神戸女学院音楽学部で作曲を勉強されておられた時、再会したのです。丁度その頃、娘が生まれ、夫婦一緒に外出して演奏することが出来なくなっていた時期で、南夏世さんに、隔週、自宅に来ていただいて、家内のバイオリン、私のチェロ、南夏世さんのピアノで、ピアノ・トリオを練習しました。
 南夏世さんとのピアノ・トリオは、3年後、息子が生まれ、南夏世さんも大学を卒業され、出来なくなってしまいました。その後、南夏世さんは、作曲家として活躍され、とりわけ、神戸新聞が募集した子供の詩に作曲された「子供の詩による歌曲」は、独唱や合唱で、色々なコンサートで歌われるようになりました。私も、ハーバーランドの「こべっこランド」のホールで開催されたコンサートを聴かせていただきました。震災後、「丸太や」で、「Motomachi Music Week」と名付けたコンサートを始めた時、毎回、南夏世さんの「子供の詩による歌曲」のコンサートを開いて頂きました。そして、1997年、その作品集の楽譜を出版されることになった時、「萌ちゃんに、挿絵を描いてもらえるかしら」と依頼されたのです。

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2010年03月08日12:00
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2010年3月7日 ダメ天使

 娘が描いた、心優しい「ダメ天使」は、娘の心だった。娘は、音楽が好きだったから、音楽を聴いてウキウキした気持ちを、音譜に乗ってプワプワ飛んでいる「ダメ天使」に描きました。



私は家内から、その絵を見せられたとき、この絵で、「丸太やオリジナルコレクションコンサート」の商品を作ろう、と思い立ちました。財布、ポーチ、ティッシュケース、バッグ、ハンドタオル、などを制作し販売したのです。


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2010年03月07日12:00
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2010年3月6日 娘

 私たち夫婦に最初に生まれた子供は女の子でした。娘は小さい時から絵を描くのが好きでした。私は、子供のことを、娘も息子も、ほとんど世話をしなかったし、話し相手もしなかったので、娘や息子が何を考えていて、将来、何になりたいと考えていたのか、ほとんど知らないでいたのですが、もしかしたら娘は、絵を描くことを考えていたのかもしれません。しかし、それなりに、しっかり自分を見ていたのでしょう。絵を描くことは楽しみにだけ残しました。
 娘が中学生の時、私たち夫婦の音楽仲間で、娘も可愛がってもらっていたピアニストに、不幸な出来事がありました。心配した家内に、娘が、1枚の絵を描いて渡しました。

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2010年03月06日12:00
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2010年3月5日 神戸セレクション 

 昨日、夕方、弊店斜め迎えの、「大上鞄店」の大上好子社長がお越しになられました。「これを見ていただきたくて」、と冊子を差し出されました。その冊子は、「神戸セレクション」のカタログでした。「神戸セレクション」は、4年前に、神戸産業振興財団が推進された事業で、今回が3回目です。実は、「神戸セレクション」の計画が新聞紙上で報道された時、私は、大変興味を持ち、当時、商店街活動でお世話になっていた、神戸産業振興局商業課に詳細をお尋ねし、資料を頂戴しました。夏頃だったか、第1回目の説明会が、神戸ハーバーランドにある神戸産業振興センターで開催され、参加しました。実施内容を聞かせていただき、大いに意欲が湧きましたが、弊店にとっては時期尚早、と見送りました。理由は、当時、弊店は、私と家内の二人だけで商売していたことと、「神戸セレクション」の参加条件が「楽天」に出店することだったので、人的にも、資金的にも余裕が無かったのです。
 昨日、大上好子さんが、「神戸セレクション」のカタログをお持ちになれたのは、「大上鞄店」が第3回目の「神戸セレクション」に選ばれて、冊子で紹介されていたからです。私は、本当に嬉しかった。「神戸セレクション」は、神戸ならではのオリジナル商品を全国に発信することが主旨だからです。その商品に、神戸元町の「大上鞄店」のオリジナル商品が選ばれて、全国発信されるのです。「大上鞄店」も、ご子息の大上悠介さんが商売に精励されておられて、とりわけ、来るべき時代に対応するためにインターネットの活用に取り組まれておられます。私は、「マルヤ靴店」の片山喜市郎さんの活躍といい、元町商店街の若い力に輝かしい未来を感じます。神戸元町は、きっと再生します、復活します。

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2010年03月05日12:00
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2010年3月4日 若い力

 今回、「マルヤ靴店」が神戸新聞に紹介されたのは、「マルヤ靴店」四代目の片山喜市郎さんの商売の取り組みが評価されてのことですが、片山喜市郎さんは現在、27歳とのことです。去年の4月1日、「丸太や」に入社した息子、三木弦が営業中に履く靴を購入するために、「マルヤ靴店」に伺った時、片山喜市郎さんは、お父様の片山泰造さんと一緒に靴の選定をしてくださいました。息子は、23歳です。片山喜市郎さんや息子を始め、元町商店街では、20台、30台の若い息子さん、娘さんが、家業に精励されています。全国的に、商店街が存亡の危機に立たされている、その大きな理由が、後継者が不足してるから、という中で、元町商店街は、片山喜市郎さんを始めとして、若い後継者ががんばっているのは頼もしい限りです。
 私は、7年前、「元町130年記念事業」の企画委員長に就任してから、度々、たくさんの方から、「元町らしさ」という言葉を聞かされました。一体、「元町らしさ」とは何なのだろう、と私なりに考え続けて、感じたことを、元町商店街連合会が発行する「こうべ元町新聞」に、「元町オンリーワン物語」として発表しました。3年間、書き続けて、最後に、私がたどり着いた結論は、「元町らしさ」とは、「元町の商売」だ、ということでした。店構え、陳列された商品、店員の接客、店主の人格、それらすべてが、不可分に溶け合い、滲み出た商売、それこそが、「元町らしさ」の拠って来るところ、「元町らしさ」の所以であると。
 もし、「神戸・元町」にブランドという名の信用があるとするなら、その信用の拠って来るところは、元町商店街の個々の店舗の商売にこそある。もし、「元町の商売」が、お客様の信用を失うようなことがあるとするなら、それこそ、「元町らしさ」が失われ、「神戸・元町」の信用は地に堕ちるでしょう。しかし、片山喜市郎さんを始めとする、元町商店街の後継者たちの活躍を目の当たりにすると、「神戸・元町」は不滅です、と確信するのです。
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2010年03月04日12:00
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2010年3月3日 活性化

 私は、2月27日の神戸新聞朝刊で、「マルヤ靴店」が紹介されている記事を読んで、二重、三重、四重の意味でうれしく思いました。私は、ほぼ12年にわたる商店街活動の結果、商店街にとって、一番大切なことは、商店街を構成する個々の商店の商売だ、という結論に達したのです。であるなら、私にとって、一番大切なことは、自分の商売だ、という結論に達しました。その結果、商店街のすべての役職を退いて、商売に専念したのです。
 私は、かつて、そして、今もなお、全国津々浦々の商店街で取り組まれている活性化事業なるものに、大いに疑問を抱きます。なぜなら、商店街は商売をする場所だからです。テーマパークでも、遊園地でも、イベント広場でもない。もし、商店街の活性化事業なるものがあるとするなら、その事業は、商店街を構成する個々の商店が、より良い商売が出来るよう、支援する事業でなければなりません。集客が出来た、知名度が上がった、しかし、個々の商店の商売が出来なかった、では何の意味も無い。客寄せパンダ的事業で、本当の意味での商店街活性化は成し遂げられないのです。
 12年にわたる商店街活動で、私が出した結論は、商店街の活性化は、商店街の個々の商店の商売の活性化以外に方法は無い、ということです。だから、私は、自分の商売の活性化に全力で取り組むしか無い。その方向で、商店街のすべての商店が努力するしか無い。だからこそ、今回、「マルヤ靴店」の商売が、神戸新聞紙上で大きく取り上げられたことは、本当に素晴しい。絶賛に値します。
 昨年の10月初旬に、「マルヤ靴店」をお訪ねして、片山泰造さんとお話しする機会がありました。その折、私は、片山泰造さんに、商店街で一番大切なことは、個々の商店のお商売です。個々の商店のお商売にとって一番大切なのは、商品です。と申し上げたら、「私も、三木さんのおっしゃるとおりだと思います。ウチの店も、今回、オリジナルのダンスシューズを、お客様からオーダーを頂いて、手づくりしようと始めたところです。以前は、やっていたことでしたが、いつの頃からか、やらなくなっていたのですが、これからは、お客様の細かいニーズにお応えすることが大切だな、と思うのです」とおっしゃいました。まさに、片山泰造さんが、私にお話されたことを、ご子息の片山喜市郎さんが取り組まれて、成果を挙げておられる、ということが神戸新聞に紹介されていたのです。なんと素晴しいお話だろう。神戸元町、健在なり。片山泰造さん、これからも、神戸元町商店街のために、お互い、がんばりましょう。
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2010年03月03日12:00
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2010年3月2日 相談

 元町6丁目商店街、「マルヤ靴店」の片山泰造さんとは、13年前、「元町ミュージックウィーク」の活動を通じてお知り合いになったのですが、私が、元町商店街広報部に参加するようになると、そこでも、片山泰造さんは広報部員として活躍されておられました。片山泰造さんは、その後、元町6丁目商店街振興組合の理事長になられ、私が、「元町130年記念事業」の企画委員長になってから、「元町130年記念事業」の実施に当たって、元町6丁目商店街振興組合理事長として、多大なご協力を頂きました。
 私は、震災後、元町1番街の理事に就任するまで、商店街活動は、一切、携わったことがありませんでした。また、大学を出て、すぐに、「丸太や」に入ったので、組織での活動の経験がありませんでした。組織の中で活動することの経験が無かったがゆえに、元町商店街という組織の中で、「元町ミュージックウィーク」や、「元町130年記念事業」に携わったことは、ある意味、私にとっては、試練だった。私の意図が理解を得られない、私の活動に協力が得られないことが、幾度もありました。それは、何より、私が未熟だったから、組織を知らなかったから。
 片山泰造さんは、私と違って、早くから、商店街活動に従事されてこられました。商店街活動の豊かな経験をお持ちでした。私は、途方に暮れたとき、何度と無く、片山泰造さんに相談を持ちかけました。片山泰造さんは、ご多忙にもかかわらず、いつも親切に応対してくださって、適切な助言を与えてくださいました。どれほど、片山泰造さんの経験豊かな助言に救われたことでしょう。私にとって、片山泰造さんは、元町商店街の中で、本当に数少ない、共に感じあえる、共感しあえる友人でした。
 私は、3年前、元町商店街の、すべての役職を退きました。しかし、片山泰造さんとは、折に触れてお会いし、変わらず、ご指導、ご教示を頂いています。温厚実直なお人柄は、私のような、偏狭で強情な人間をも許容できる包容力をお持ちなのです。
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2010年03月02日12:00
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2010年3月1日 記事

 誇張でもなんでもなく、私は、周囲の状況に対して、絶望的な気分に陥ることが、多々あります、再々あります。なかなか気分が晴れない。しかし、2月27日の神戸新聞朝刊の記事に、久し振りに爽快な気分になれました。地域経済紙面のトップ記事の、「セミオーダー製造を再開 ■神戸・元町の老舗店■」という見出しが眼に留まったのです。元町6丁目商店街の「マルヤ靴店」が、社交ダンス用のオリジナルシューズを製造販売し、好評を得ている、という記事でした。
 私の姉妹は、3人とも、甲南女子中学、高校に通っていました。学校の規定の靴の指定店が「マルヤ靴店」でした。私は、多分、小学生になるかならないかの頃から、何度か、姉の靴の購入についていって、「マルヤ靴店」に伺った記憶があります。私は、震災の前まで、商店街活動に係わったことがありませんでしたが、震災後、元町1番街の理事になって、1年後、「元町ミュージックウィーク」という音楽イベントを提案し、翌年、「元町ミュージックウィーク実行委員会」が発足して、元町商店街の、3丁目、4丁目、5丁目、6丁目の各振興組合の方々と、一緒に活動するようになりました。当時、「マルヤ靴店」の片山泰造さんは、元町6丁目商店街振興組合の事業部長をされておられて、「元町ミュージックウィーク」の実行委員になってくださいました。
 「元町ミュージックウィーク実行委員会」を発足し、開催の準備を進める中で、一番の課題、というか、難題は、商店街の組合員の理解をなかなか得られないことでした。しかし、片山泰造さんは、私の思いを正しく受け止めてくださって、全面的に協力してくださいました。私は、片山泰造さんの理解と支援に、どれほど励まされたことでしょう。とりわけ、今も、「元町ミュージックウィーク」の、最も重要なコンサートである「チャリティーコンサート」の前身である「ファミリーコンサート」を、神戸中央郵便局ホールで500名の市民を招待して開催するに当たって、片山泰造さんは、献身的な努力で、成功に導いてくださったのです。
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2010年03月01日12:00
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2010年2月28日 閑話休題

 閑話休題、というのは、余談はさておき、という意味だそうで、その意味は、ヤフーの辞書で調べたのですが、以前なら、国語辞典を引っ張り出して調べないといけないのが、キーボードを叩くだけで、すぐ調べられる。便利といえば便利です。なぜ、閑話休題なのか、というと、実に、1ヶ月以上前から、着物について、ずっと書き続けてきたので、そろそろ、話題を変えようか、と思ったからです。着物の話は、呉服屋である私にとって、余談ではないのですが、一応、休題。
 着物の話を書き始めたら、止められなくなって、「書くすれば 書くなるものと 知りながら 止むに止まれぬ 呉服屋魂」。注・「かくすれば かくなるものと 知りながら 已むに已まれぬ 大和魂」のモジリです。着物の話を、まだまだ書き続けたい心境ですが、切りが無いので、一端終了。しかし、着物の話を書き続けることで、随分、色々なことが見えてきました。見通しが良くなった。
 いくつか、核になる言葉、今後、呉服屋を続けていくために、大事な言葉を見つけました。思いつくままに並べると、「共生」、「共感」、「コンプレックス」、「ほんもの」、「個性」、などなど。それらの言葉を、今後、どう深堀していけるのか。発掘の現場はブログです。
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2010年02月28日12:00
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2010年2月27日 ピアニスト

 今回、「丸太や・きもの着方教室」を受講された方の中に、もうおひとり、「まるたやミュージックフレンド」がいらっしゃいます。ピアノの有田由紀子さんです。有田由紀子さんは、震災の年、1995年の秋に、最初に、「Momachi Music Week」、現在の「まるたやフレンドリーコンサート」を開催した時から、お客様として聴きに来て下さっていました。何回目だったか、有田由紀子さんが、大阪音楽大学でピアノを学ばれたことを知り、「まるたやミュージックフレンド」に加わっていただいて、演奏に参加していただくようになりました。
 ですから、もう、15年を越えるお付き合いなのですが、2年前、思いがけず、有田由紀子さんが茶道を学ばれていて、時々、お茶会で着物をお召しになることを知ったのです。というのは、家内が、服部秀司さんが制作された、鍵盤をモチーフにした本綴の帯を締めていたら、「その帯の柄って、鍵盤ですよね」と有田由紀子さんが訊ねられたのです。「私、茶道を勉強していて、時々、着物を着るのですが、その帯を、お茶会で締めるのは可笑しいですか」、とおっしゃるので、「そんなことはないですよ。無地の着物でも、付下げの着物でも、良いですよ」と申し上げて、配色を変えて有田由紀子さんのためにお創りしました。
 その時、私が驚いたのは、「丸太や」と長いお付き合いなのに、何度も、「丸太や」に来店されるのに、着物の着方を、ナント、どこかの呉服屋さんのホームページを参考にされていたのです。「そんな水臭い。いつだって、私でよければ、お教えしますよ」、と家内が申し上げて、今回、初釜に間に合うように特訓を受けられました。しかし、有田由紀子さんは、ご多忙で、なかなか、練習の時間が取れなくて、今回は、時間切れでしたが、是非、お一人で着られるようになられるでしょう。袋帯は、昨年11月、日本刺繍の森康次さんが特別に創作されたものです。

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2010年02月27日12:00
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2010年2月26日 着こなし

 新年早々、「丸太や」は、きものの着方を学びたい、というお客様で千客万来でした。フランスの高校に入学されていたお嬢様の卒業式に、是非、着物で出席したいので、とか、アメリカの友人の結婚式に招待されて、是非、着物で出席したいので、とか、何せ、フランスやアメリカで着物を着るのですから、自分ひとりで着物を着られるようにならないと、という理由で、学びに来られたのです。初釜に出席するために、とか、泊り掛けで奈良に観光に行くので、などなど、目的は色々ですが、着物で行きたい、という気持ちは同じ。皆さん、大変お上手に、着物をお召しになられるようになりました。
 このたび、「丸太や・きもの着方教室」を最優秀の成績で卒業された井上ほのかさんは、チェリストです。「まるたやミュージックフレンド」のおひとりで、「まるたやフレンドリーコンサート」や、「元町夜市」で、一緒に演奏していただいています。ご縁のきっかけは、弊店が、「丸太やオリジナルコレクションコンサート」という、音楽をモチーフにした着物や帯の制作販売を始め、店頭に展示していた、チェロをデザインした染帯を、通りすがりに眼を留められたことでした。その時、ご夫婦で、店内にお入りになり、話が弾んで、ご主人が、「丸一商店」の代表者であることを知りました。「丸一商店」は、バイオリンやチェロなど、弦楽器の専門店で、ドイツの弦楽器メーカーであるカール・ヘフナー社や、弦のメーカーであるピラストロ社の輸入代理店でもあります。実は、私が、早稲田大学交響楽団に入団し、チェロを始めて、最初にチェロを購入したのは、当時、田園調布に在った、「丸一商店」の東京店で、カール・ヘフナー社のチェロだったのです。奥様である井上ほのかさんは、甲南大学を卒業後、カナダに留学され、チェロの研鑽を積まれました。ご夫婦とは、以後、公私に渡ってお付き合いさせていただいています。
 井上ほのかさんのお嬢様は、3年前、甲南学園のフランス校に入学され、高校生活を送られました。この2月にご卒業されたのですが、井上ほのかさんは、是非、お嬢様の卒業式に、着物で出席したい、とお考えになられて、フランスで着物をお召しになるので、自分ひとりで着られるようにならないと、と年明け早々に、「丸太や・きもの着方教室」に入校されたのです。大変熱心に取り組まれ、完璧に着こなされるようになりました。
 
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2010年02月26日12:00
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2010年2月25日 きもの着方教室

 日本人として、日本人であることの個性の表現として着物を着たい、と考えるようになった若い女性が、自分の着物を持つために、リサイクル着物を購入したり、母親の着物を譲り受けたり、さらに、自分のための着物を新たに購入されるようになりました。一昔前までは、着物の購入は、お母様、お祖母様が、娘のために、孫娘のために、着物を購入され、勿論、ご本人自身も、着物を選ばれましたが、選択権は、どちらかというと、お母様や、お祖母様にありました。しかし、今や、購入の中心は、あくまでご本人にあるのです。自分で、好きな着物、着たい着物を選ばれる。当たり前、といえば、当たり前なのですが。
 自分の着物が用意できた。いざ、着よう、となって、しかし、残念ながら、確かに、そう簡単に、自分ひとりで着物を着られないのです。日本人が着物を着なくなった理由の第一は、それほど、着物を着たいと思わなかったところにある。しかし、ようよう着物を着たい、と思うようになって、着物も用意して、しかし、そう簡単には着られない、というのが、やはり、日本人が着物を着なくなった大きな理由であることは変わりません。呉服屋として、着物をお召しいただきたい、と考えるなら、呉服屋なりに、その大問題の解決に取り組まなければなりません。
 「丸太や」は、随分以前から、自分ひとりで着物を着られるようになりたい、という方のために、着物の着方をお教えしています。大っぴらに、でもなく、大袈裟に、でもなく、かつて、お母さんがお嬢さんに、お姉さんが妹さんに教えたように、普通に、お教えしています。「きもの着方教室」というような、大層な看板は掲げていませんが、いつでもご相談を承っています。
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2010年02月25日12:00
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2010年2月24日 直し

 戦後、半世紀を越えて、日本人は、日本人であることに誇りを抱くようになりました。日本人であることに目覚めた日本人が、今、身に纏う衣服に着物を選ぶようになったのです。日本人であることの個性の表現として。しかし、自分の着物を持っていない。着物を購入しようと思っても、高価だ。そういう若い女性が、リサイクル着物を購入し、着用したのです。
 さらに、着物を着たい、と思い始めた若い女性が、注目したのは、母親の着物です。母親は、嫁入り道具として、たくさん着物をこしらえている。しかも、ほとんどの着物に袖を通していないのです。「お母さん、この着物、私が着てもいい?」「いいけど、私と貴方では体型が違うから、そのままでは着られないですよ。呉服屋さんで寸法直しをしてもらわないと」、というような会話が親子の間で交わされて、弊店のような呉服屋に相談に来られるようになりました。
 着物は、直線裁断、平面縫製なので、基本的に、寸法直し、仕立て直しが可能です。ご相談にお越しになられたお客様に、丁寧に対応させていただき、お母様の着物を、お嬢様が着こなせるようにして差し上げると、ことのほか、お喜びくださいます。そういうご相談が、年々、増えてまいりました。去る、2月20日に発売された、「家庭画報特選 きものサロン ’10春夏号」の巻頭特集が、実に、「母譲りのきもの」なのです。今や、弊店に限らず、全国の呉服屋さんに、着物を着たくなって、母親の着物を譲り受けて着ようとしている若い女性が、相談に伺っておられるのです。その特集の中で、「丸太や」は、「編集部太鼓判!きもののプロが相談に乗ります!お手入れ・お直し全国呉服店・悉皆店」として紹介いただきました。




 
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2010年02月24日12:00
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